大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和46年(ネ)313号 判決

控訴人 山川二郎

右訴訟代理人弁護士 横山昭

同 木村敏雄

同 杉田昌子

被控訴人 東京高等検察庁検事長 神谷尚男

被控訴人(第一審被告補助参加人) 甲野月子

右訴訟代理人弁護士 大和田忠良

被控訴人(第一審被告補助参加人) 甲野一郎

主文

原判決を取消す。

控訴人が亡甲野太郎(本籍、徳島県○○郡○○○町△△××××番地)の子であることを認知する。

訴訟費用は、第一、二審とも、本訴によって生じた分は被控訴人検察官の負担とし、参加によって生じた分は被控訴人(第一審被告補助参加人)らの負担とする。

事実

控訴代理人は主文と同旨の判決を求め、被控訴人甲野月子の代理人及び被控訴人甲野一郎はいずれも控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述及び証拠の関係は、次のとおり附加する外、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

≪証拠関係省略≫

理由

≪証拠省略≫を綜合すれば、次の事実が認められる。

一  控訴人の母山川ツル(明治四二年六月一五日生、現在まで未婚)は昭和一三年頃、当時東京都台東区御徒町にあった○○ミシン株式会社に入社し、洋裁教師として勤務していたが、間もなく同会社の専務取締役であった亡甲野太郎(本籍、徳島県○○郡○○○町△△××××番地。明治三七年三月二四日生で昭和四三年七月八日死亡。当時、同人は既に妻帯しており、子供も三人いた)と親密な間柄となり、昭和一五年一月頃から情交関係が生じ、以来これを月に数回、待合その他において継続していた。

二  右ツルと太郎は、昭和一六年四月頃、二人だけで伊豆及び大島へ二泊三日の旅行をし、修繕寺温泉と下田の旅館に各一泊し、その都度、情交関係を結んだ。ところが、ツルは、その後間もなく妊娠していることを知ったので、このことを太郎に告げ、出産をするため、それまでの住居(兄の家)から滝野川のアパートに移転した。右移転後も、ツルと太郎は月に数回、同アパートにおいて情交関係を継続した。

三  右ツルは昭和一七年一月四日、滝野川において、助産婦の手により控訴人を出産した。そこで太郎は、右分娩費を支払い、控訴人がその次男に当るとして、自ら控訴人に「二郎」と命名した。

四  右出産後、母ツルは控訴人を養育するため前記会社を退職し、又住居も滝野川から蕨市に移転したが、亡太郎は、しばしば右ツル方を訪れ、ツル親子の生活費及び控訴人の養育費を支給した。その後、ツル親子は、戦争の激化に伴い、昭和二〇年六月頃、蕨市から札幌市の姉の家に移ったが、当時家族と共に郷里の徳島県に疎開していた亡太郎は、ツルから右移転の連絡を受けるや、ツル及び控訴人の生活費を送付し、又翌二一年六月頃、自ら右札幌まで赴いて、ツル及び控訴人を引取り、右徳島県へ伴った。ツル親子は、その後約二年間徳島市等に居住し、控訴人は同市の小学校に入学したが、その間、亡太郎は月に数回ツル方を訪れ、ツル親子の生活費等を支給した。ところが、昭和二三年七月頃に至り、太郎の仕事の関係上、ツル親子も上京することになり、ツル及び控訴人は東京都に居を移し、以来現在まで、一時札幌市に移転したこともあったが、大部分、浅草、駒込、千駄木等に居を構え、同所において控訴人は成長し、大学までの学業を終えた。右徳島からの上京後、亡太郎は昭和二七年頃から同三〇年頃までに逐次家族を東京都に呼び寄せ、大塚等に住所を定めて、事業をしたが、右家族を呼び寄せる前、短期間ツル及び控訴人と同棲したことがあり、又その後においても同四三年に死亡するまで、しばしば前記ツル方を訪れて、ツル親子の生活費及び控訴人の学費等を支給した。

五  控訴人は物心ついてから、亡太郎を父と呼び、なんらこれに疑いをもたず、折にふれ太郎からいろいろな物を買って貰い、又小遣銭も貰い受けた。一方、母ツルは控訴人が成長するに従い、再三亡太郎に対し控訴人の認知方を求めたところ、その都度、太郎はこれを拒否せず、ただ同人の妻子に遠慮し、家庭争議の発生を恐れて、ひたすら延期を懇願するのみであった。

六  なお、山川ツルは前記○○ミシン株式会社に勤務中、亡太郎以外の男性と情交関係を結んだことは全くない。

≪証拠判断省略≫

次に、≪証拠省略≫によれば、控訴人とその母山川ツル及び亡甲野太郎の長男甲野一郎の三人について、ABO式、MN式等一九種類の血液型を検査し、血球と型判定用抗血清との凝集反応その他所要の検査及び試験をして、以上の点に関する甲野一郎の結果からその父太郎の血液型を推定し、一方控訴人と母ツルの以上の点に関する結果の組合せから控訴人の父であり得ない男の血液型及びその父であり得る男の血液型を推定し、検討を加えると、亡甲野太郎と控訴人の父子関係を否定することができないこと、並びに右甲野一郎の結果から推定された亡太郎の血液型は、ABO式ではA型、B型又はAB型であり、他方右控訴人と母ツルの組合せから推定された控訴人の父の血液型は、ABO式ではA型、B型、AB型又はO型であるところ、亡太郎が死亡するまで入院していた東京医科歯科大学附属病院において検査した同人の血液型は、ABO式ではA型であって、以上の三者は右A型の点において一致していることが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の事実関係によれば、控訴人は亡甲野太郎の子であることを推認せしめるに十分であって、他に右認定を妨ぐべき別段の事情の認められない本件においては、控訴人は亡太郎の子であるものと認めるのが相当である。

よって、以上と異なり、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は不当であって、本件控訴は理由があるから、民事訴訟法第三八六条によりこれを取消し、控訴人の本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき同法第九六条、第八九条、第九四条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 杉山孝 裁判官 古川純一 岩佐善巳)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例